中学二年を嵐全盛期とともに過ごした私たちのその後



小学生から中学生へ、恋だの愛だのを覚え始める時期。すぐに同級生とカタチだけの「付き合う」を経験したがる時期。ジャニーズや女性アイドルにハマるやつが量産される時期。それが中学生の年頃だと思うのだ。その年頃に嵐がブレイクした。私が中二の時が彼らの10周年だった。当然、嵐にハマる人が続出した。30人規模のクラスにオープンにしてる「アラシック」は5、6人はいたし、ひっそり応援してる人もきっといただろう。もちろん嵐以外のグループ(例えばHay!Say!JUMP)にハマる人も少なくなかった。給食のときの校内放送でよく嵐の曲が流れていた。曲が流れるだけで大歓喜、「◯◯(アイドルの名前)って歌が下手〜〜」などいう男子にファンが本気で切れる、そんな光景も少なくなかった。そんな時期と嵐の十周年が重なりわたしの周りではジャニオタ予備軍が大量発生した。そして今年、わたしの学年は成人を迎える。あの頃ジャニオタ予備軍になったわたしの友人たちは今どのような道を歩んでいるのか、ふと考えてみたら少し面白かったのでまとめてみた。


①A先輩の場合

A先輩はわたしの一個上でわたしを本格的にオタクの道へ落としてくれた人だ。A先輩に誘われてわたしは初めてグッズというものを買いに行った。中二の夏である。そう、5×10。炎天下の中5時間近く並び「しょうくんの団扇ください。」と照れながら言った淡い思い出。大奥もガンツもその先輩と見に行った。偶然同じ学校に進学し、先輩が高2でわたしが高1のときはじめてわたしは嵐を生で見た。なかなかいい席で肉眼で櫻井くんが生きていることを確認し、涙を流したのを覚えている。結構濃い時間をその先輩とは過ごしたのだが、そのイベントを最後に自然に遊ぶことはなくなった。簡潔に言えば先輩がオタ卒した。「迷宮ラブソング」が出た頃「今応援してるバンドがあるんだぁ」と目を輝かせて言っていた。その先輩との思い出にははいろんな初体験が詰まっていたのでその発言がちょっぴり悲しかったのを覚えている。最後にその先輩を見たのは一昨年か。彼氏と仲良く歩いていた。おしあわせに、と思った。


②中学時代強火だった同級生Bの場合

Bは大野担だった。Bの従兄弟がファンクラブにもともと入っていたこともあり彼女は5×10に参加もした。コンサートの次の日の学校で興奮気味に話す彼女が羨ましくて仕方なかった。もともと仲のいい友人ではなかったが同じ趣味を持つ以上よく話はしていた。彼女は祖母に「魔王」や「歌のお兄さん」のDVDBOXを買ってもらっていた。中二のお小遣い月1000円だったわたしにとってそれはとてもとても羨ましかった。「あのメイキングがね!!!」彼女はよく私に言った。コンサートDVDもたくさん買ってもらっていた。「◯◯円で貸してあげる!」と言われたがそのお金が彼女が違うものを買うお金になるなら地味に自分でためてやるとむかしから好きな人に直接的にお金を使いたいたい思うタイプの私はその誘いには決して乗らなかった。とことん彼女とは合わず、高校進学を機に接点は一切なくなった。というか三年生になるともう嵐の話はしなかった気がする。熱しやすく冷めやすい典型的なタイプの人だった。この前偶然彼女のTwitterのアカウントを見かけたが自分の夢に向かって頑張っているようだった。オタクの影は一切なかった。彼女の家にあったグッズはどうなったのだろうか、どこかに売られてしまったのだろうか。彼女にとってあの一年間が黒歴史になっている気がしてならない。そして彼女のように高校受験を機に一切騒がなくなった友人は多い。中には高校一年の夏休み、地元のお祭りに行った時に「まだファンやってるの?」とわたしを笑った者がいた。笑われたって別にいい、わたしはわたしなりに人生を楽しんでる、ほっといてくれとは思ったが。


③可愛い小学生からの友達Cの場合

Cとは家が近いこともあり小学生のころよく遊んだ。ほとんど毎日一緒に下校した。顔が堀北真希に似ていて手足は細くスラーっとした美人である。だけど彼女には天性の面白さがあった。バカをやらせたら校内一だったのではないか、と思う。そんな彼女が中学の頃好きだったのは嵐ではない、山田涼介だ。彼女の家にはよく行き彼女のドル誌の嵐ページはわたしに、わたしのドル誌の山田涼介ページは彼女へと流れていった。お菓子を食べDVDを見ながら延々に自担の話をする。こんな会は高校生になってからも一年に2回程度は開催していた。彼女は高校生になってもオタクを卒業しなかったのである。しかし、高3になってからわたしは彼女と遊べなくなってしまった。受験でとにかく時間がなかったのである。なんとか受験を終え、中学の仲良しグループの集まりに行くとそこに彼女もいた。わたしは彼女に最近どうよ?と言ってみた。可愛い彼女だ、彼氏でもできてオタ卒してるかもしれない。彼女は答えた「実は山田から降りたんだ」と。やっぱり、彼女もか。。と少し寂しく思っていた私の耳に信じられない言葉が入ってきた、「今はJr.を推してる」と。彼女は見事に山田涼介から平野くんに担降りしていた。その頃わたしはもうキンキにずっぽりはまっていたので「あのJr.がキンキの曲歌っててカッコよかったんだよ!」「え、原曲ならあるけど」「貸して!!!!」みたいな会話を楽しんだ。専門学校入学から1年半、彼女はまだジャニオタだ。先日、ガムシャラが当たったと喜んでいた。不測の事態でわたしも行くことになったことは彼女にはまだ言っていない。彼女と共通の話題ができることが楽しみだ。あと彼女の担当、平野くんに関しては「こんな可愛いファンがついてよかったね」と謎目線で感じている。彼女がこの先どんな人生を送っていくのか少し楽しみである。

④わたしのジャニーズの師匠、Dの場合

Dがいなければ私はジャニオタになっていなかったと思う。彼女から私は嵐を教わった。彼女は嵐がブレイクする前から嵐が好きだった。きっとSMAP担の母親の影響もあったのだろうが、わたしの周りで抜きん出てジャニーズに精通していた気がする。そんな彼女に嵐のCDやMD(時代を感じる)をよく貸してもらった、あの歌が好き、あの歌詞が好き、あの衣装が好き、なんやかんや彼女とは話があった。「Believe」から私は自分でCDを買い始めた。世間の嵐熱が加速してきた頃、彼女は違うグループに興味を持ち始めた。「関ジャニ∞」である。「ヤスくんが〜」「たっちょんが〜」という話をよく聞いた。その頃は彼女の中で嵐<関ジャニ∞という構図になっていて話についていけないこともしばしばあった。(当時、わたしは嵐以外のジャニーズに興味がほとんどなかった)
彼女とも別の高校に進学した。彼女とは進学してから遊んだことはなかったし、接点といえばわたしがワクワクのグッズを代行したぐらいである。高校進学から三年、私たちは大学生になった。
去年の年末、わたしはカウコンに行きたいと考えていた。しかしわたしの住む地域にはカウコン後に帰宅することはできない。どこかで電車が動くのを待つしかない。それは一人では到底無理なことである。わたしはダメ元でリア垢で「誰かカウコン行かない?」と呟いてみた。ジャニオタオープンにしすぎかもしれないがとにかく呟いてみた。すると彼女から返信が来た。「行こう」と。

私「あなたカウコン出るグループのFC入ってたっけ?関ジャニ∞でないよ」
D「NEWS入ってるから大丈夫」
私「いつのまに」
D「なんならいまHey!Say!JUMPに興味があるからわたしはカウコンに行くべき」
私「」

2人揃って「でもカウコンだから当たらないでしょ」と思っていたが当選してしまった。わたしにジャニーズを教えてくれた人と行く初現場がカウコンとはジャニオタとして正解かもしれない。蓋を開けてみたらマッチコンだったことは2人にとって深い傷なのでここでは触れないでおきたい。

そして先日彼女と電車で偶然会った。
「どこにいくの?」「NEWSのコンサートだよ」「やっぱりな」「ところであれからHey!Say!JUMPはどうした?」「ファンクラブ入ったしなんならツアー行く」「ジャニオタだな」「ジャニオタだよ」「楽しいな」「楽しいね」

そしてつい先日、彼女は20歳になった。誕生日には彼女の歴代の自担たちをまとめた画像をプレゼントした。またカウコンいこうね、そんな言葉を添えて。



以上がわたしの周りのジャニオタ(だった人)たちだ。②のタイプの人がとても多い。わたしの中学は公立だったため多くの人間が高校進学で今までと全く違う世界に飛び込んでいった。その過程でジャニーズから離れた人の数は多い。しかしその一方でわたしのようにむしろ過熱させてる奴もいる。そんな人たちは中高のときにはなかった財力と時間をフルに利用してジャニオタライフを満喫している。


これから私たちの学年は成人を迎える。そしてこの人生の先には「就職」もあるだろうし「結婚」もあるだろう(と願いたい)。そのタイミングごとにジャニーズから離れる人も出てくるかもしれないし、なんらかのきっかけでジャニーズにハマる人が出てくるかもしれない。人間、皆ジャニオタ予備軍。この熱中している今をあんなことがあったねと青春を共にした友人たちと語れる日が遠い未来くるのだろうか。

とりあえずわたしはまだジャニオタを卒業できそうにないし、卒業したいとも思ってはいない。個人的な思いとしてはDにも卒業して欲しくない。彼女ともうすぐお酒を飲みながら自担を語れる日が来るのが今から待ち遠しい。