ARASH BLAST in Hawaii〜わたしとハワイとの和解〜


あの日の朝のことをわたしは忘れない。「嵐、15周年コンサートはハワイで」そんな見出しが紙面に踊り、アロハシャツをきてアロハ〜ポーズをした嵐が載せられていたあの朝を。嘘だろと思った。誰も予想できない15周年の記念コンサートだった。収容人数なんて考えるまでもなく行けなかった。運より時間より、お金という一番どうにもならない問題で諦めざるを得なかった。

わたしはこの15周年という一つの区切りをすごく楽しみにしていた。なぜなら10周年のときは好きだったが親に止められていたのでファンクラブには入っていなかったし、まだ好きになりたてだった。わたしは嵐がブレイクした時にファンになった類の人間である。10周年出は永遠の新規と呼ばれているかどうかは知らないが、その類の人間だ。だから10周年のとき、彼らがどんな10年間を過ごしていたかは情報収集するしかなかった。だから10周年のコンサートに行けなかったことはFCに入っていない以上どうしようもないことであるが、なにより10年間応援してた人が一番見るべきコンサートだと思っていたので自分がその場に行けないことはそこまで憂う事態ではなかった。でもその時決めていたのだ。この先の五年は彼らがどう走るかちゃんと見ていようと。15周年のコンサートにはちゃんと彼らの言葉の意味を噛み締められるように、と。時間は戻せないからどんなに臨んだってデビュー当時からのファンになることはできない。永遠の新規だと言われようが自分が少しは誇りを持てるように5年間は彼らを愛していこうとそう決めていた。中高でファンだった友達は青春を違うものに捧げるようになっても、わたしは彼らから離れられなかった。意地を張っていたわけでもなく、5年間彼らは毎日毎日魅力的だったから自然にずっと愛していた。だから。だから私にとっても15周年は区切りだったのだ。15周年を心待ちにしていたのだ。


その5年間楽しみにしていたコンサートが発表された時点で参加することが100%不可能だと悟る辛さ。なんで、どうして。わかっていた、ハワイでライブできることがどれだけすごいことなのかも。わかっていたつもりだった、自らの意思でなくデビューした彼らが15年経ってその地に戻りステージに立つ意味を。それでも素直におめでとうと言えなかった。おめでとうと言えない自分が悲しかった。


ハワイ関連の取材が増えた頃、櫻井くんが「ハワイでコンサートをやる本意は僕らにしかわからないと思う」(ニュアンス)という発言をした。わたしは櫻井くんが紡ぐ言葉が大好きだが、これは悲しかった。ハワイに関わらず彼らがステージに立つ意味は彼らにしかわからない。それは当然のことだ。だけど、だけどせめて、行けないならせめて、その思いを知りたかった、寄り添わせてほしかった。


個人的にハワイに対してモヤモヤとした気持ちを抱えていた時にハワイのライブビューイングが発表された。これならリアルタイムで彼らのステージを感じることができる。わたしは浮き足だった。応募方法は一般のみ…。嫌な予感がした。全国で行われるだろうからまさか外れることは…………外れた。ボロボロに外れた。全滅だった。スクリーン越しに彼らのステージを見ることさえできなかった。


ハワイ公演を終え、嵐のレギュラー番組はこぞってハワイ特番を組んだ。メンバー各々に好きなことをさせてくれた日テレ、五人にまとめてハワイを満喫させてくれたフジテレビ、櫻井くんの驚愕の生態を見せてくれたTBS、どれも番組としてとても楽しかった。

そしてドキュメンタリーをみせてくれたNHK。この番組はコンサート自体に密着していたこともあり非常に濃い内容だった。世間の持つ「仲良し嵐」だけではない、仕事をしていく上での諍い、葛藤、悩み、絶対そこでみせてくれたのは彼が抱えてるもののほんの一部分かもしれないが、ある意味、生身の人間らしい彼らの言葉にとても安心したのを覚えている。そんな映像を見せられた後番組後半で流れた「GUTS」。雨に濡れながらこの歌をハワイの地で歌う彼らの表情には何か胸に込み上げるものがあった。その何かがわからなかった。なぜなら、わたしはまだ彼らの15周年をほんの一部分しか見ていないのだから。NHKのドキュメンタリーはリアルタイムの一回だけで繰り返しての視聴はやめた。いつかハワイ公演のDVDが出たとき、その時に見返そうと。わたしはすぐに番組をBlu-rayに録画しそのディスクを棚へとそっとしまった。


そしてやっと我が家にハワイのBlu-rayが届いた。フラットな状態で観たかったのだが、先日の櫻井翔の夜会により自分が自分の想像する数倍重たいオタクだということを自覚してしまった。その上での感想文である。多分重い。絶対重い。


OPでヘリで登場した嵐。青い海、青い空、そこに浮かぶヘリコプターにサングラスをかけてTHE アイドルな嵐がいた。OPからただでさえ非現実的なハワイでのライブをより非現実的なものにしてきた。ライブ=儚い夢だと考えている私にはなんともたまらない演出だ。ヘリから降り立ってからは、ほんとうに櫻井君しか見えない。あのサングラスから確信犯的につぶらな瞳をのぞかせた櫻井翔。ずるい、これ以上虜にしないでくれ。

一曲目、A・RA・SHI。15年前、この地に来た時にはサビぐらいしかできていなかった曲。ハワイという地まで連れてきたファンを眺め、わたしでは言葉に表せないような表情をして歌い出した嵐。15年たって胸を張ってそのデビュー曲でハワイの記念コンサートを始めた嵐。もうこの時点でわたしの胸はいっぱいであった。

LIVEが進むにつれてわたしは櫻井くんしか見えなくなった。仕方ない。基本的に櫻井くんのことを思い、この5年間過ごしてきたのだから。

いつものLIVEの櫻井くんのイメージは一帝国を束ねる皇帝であった。「今日も我が国は栄えておるなぁ」という風に客席を見渡す姿に何度ときめいたかわからない。お手振りはまるで王室のよう(我が家ではロイヤルと呼ぶ)。その櫻井くんがこのLIVEでは余裕のない顔をしていた。いつもの櫻井くんとの違和感。ここで思い出す、ハワイ公演の前の櫻井くんの言葉。そう、このステージに立つ意味は本人にしかわからない。わたしには想像することすらできない15年間が彼らにはある。わたしたちが見れない部分も含めた15年間がある。櫻井くんの表情はそのことを強くわたしに意識させた。噛みしめるようにラップを歌う姿。メンバーを見て和らげる表情。「GUTS」を歌いながらあんな顔で笑わないでくれ。涙が出てきてしまうじゃないか。


極め付けは「season」だ。あんな表情知らない。涙を流していないだけで泣いてるじゃないか。

「ひらひらと花が舞う頃  旅立ちを決めた思いは  いま  誰のためでもなくて」

願ったデビューでもなかった。もっとデビューしたい人がいるのに自分がデビューしていいのか。もっとこのステージに立ちたい人がいるんじゃないか。そんな葛藤を抱えた青年が、15年たってデビューの地にたってこの歌を歌う意味を重みを。きっとあのままジャニーズを止めていたら、アイドルを辞めていたら、今頃一流企業に就職して電車に乗って会社に行き帰ったら奥さんと子供が待ってる、そんな日々を今頃送っていたかもしれないね。「もし 僕が嵐じゃなかったら」あの当時スーツ姿に萌えることしかできなかったCMが今見ると、とてつもなく切ない。もし、なんていったら測りきれないけど普通の幸せな生活を送っていたのかもしれない。でも彼はステージに立っている。その彼に恋をした。彼はずっとステージに立っている。あなたが誇りを持ってその歌詞を歌っていると信じている。ファンとして勝手に。そしてファンとして勝手に追いかけたい。ずっと恋していたい。多分ずっと特別。きっと特別。


やっとわたしとハワイは和解した。やっぱり贅沢を言えばリアルタイムでこの感情を味わいたかったけど。半年遅れの「15周年おめでとう」がやっと言えた。次の節目は20周年おめでとうだね。どんな形でもいいから立ち会いたいな。あと5年。もう息を吸って吐くように彼らが生活に馴染んでしまったから気づいたら5年たってしまっているのでしょう。どんな景色がみれるかと今からワクワクしている。どんな速度でもいいから、たまにはゆっくり休んでもいいから五人で。そう五人で歩いて行ってください。その姿を一ファンとして楽しみにしています。