人生初SHOCKを前に書きたいこと

人生初SHOCKが迫ってきている。これは非常に由々しき事態だ。二日に一度はSHOCKの夢を見る。そしてツイッターではSHOCK観劇の先輩方にあの舞台は気をつけろと言われる。今から震えが止まらない。西野カナばりに震えている。座長に会いたくて会いたくて震えてるのか観た後の自分の運命がどうなるかわからないことに震えているのか自分でもわからない。

そこで私は人生初SHOCKのまえに自分がどのようにして堂本光一という人間に堕ちたかを勝手に記しておきたい。これは KinKi Kidsに興味を持ってから今日までの記録であり、ひどく自己満なものである。





わたしがハマった一番最初のジャニーズは嵐である。自担は櫻井翔であった。中1から友人の影響で嵐の曲を聴き始め、インテリに目がない私はNEWSZEROでキャスターをする櫻井くんに惚れた。(その前に好きだった芸能人はロザン宇治原さん。どれだけ学歴フェチなんだよ)
ちょうどその時期から十周年も相まって嵐のメディア露出が急増した。毎日募る櫻井くんへの想い。しょーちゃん♡などとハート混じりで会話もしたこともあった。あの頃私は若かった。それからずっと嵐が好きだった。嵐を勧めてくれた友人が関ジャニにシフトチェンジしても、中学時代の嵐ファンが高校入学とともにこぞってバンドに流れても、わたしは嵐が大好きだった。
しかし、神様は私に非情だった。高校合格して許されたFC入会。わたしの名義は今現在まで一度も活躍したことはない。2011BW、2012アラフェス、ポップコーンと相次いで落選。(ポップコーンは友人が当ててくれたので行くことはできた)。そして、私に一番影響を与えた出来事、それは2013アラフェスの落選である。
当時高校三年生、受験生であった。それゆえ、冬にあるツアーには確実にいけないことがわかっていた。つまり、アラフェスはその一年での最後のチャンスだったのである。前述したように、わたしの名義はとにかく働いていなかった。だから謎の自信が湧いていたのだ。

「絶対に当たるはず」

そして神様は私に微笑まなかった。見事に落選したのだ。普段だったら凹みはしたものの切り替えられていたはずである。しかし当時の私は「普通」ではなかった。

「アラフェスまでそれを楽しみに勉強頑張って、そのあとはその楽しかった時間を思い出しながら最後まで乗りきろう」

あんな倍率の高いコンサートを前にまあ舐めた未来予想図を描いていたのである。さらに打ちひしがれたのは2012アラフェスに行った姉が今回も当たったということ、そしていつも一緒に嵐行動をしてきた友人が私を置いてアラフェスに行くことを決めたのである。(もちろん、彼女たちに罪はないのだが)

そして私の打ちひしがれ要因はそれだけではなく勉強面にも及んだ。ある大学の指定校推薦の要件に評定平均が0.1満たなかったのである。


もうズタズタであった。何を頑張ればいいのかわからなくなってしまった。私にとって嵐は勉強する糧だった。彼らがいないと頑張れなかった。大学受験がそういうものではないことはわかっている、理論的にはわかっているがどうしようもないことがある、これがそのどうしようもないことだった。

しょっちゅう泣いていた気がする。よくわからないことで泣いていた気がする。問題が解けないことに苛立っては赤本を床に叩きつけていた気がする。泣きながら解いた問題集は涙で濡れてシワシワになった。嵐の番組を見ても楽しいと感じられなくなってきた。背中を押してくれる歌詞の歌を聴いても「うるせえ」と思うようになった。我ながら嫌な性格だ。(もちろん、嵐には非はありませんよ)


そんな時だった。わたしが剛くんの歌に出会ったのは。「瞬き」である。

音が、言葉が、久しぶりにすっと心に入ってきた。気づいたらAmazonで注文していた。そして届いたCDを聴きながら泣いていた。

KinKi Kids、剛さんの音楽に出会ったのはこれが初めてではなかった。「約束」がリリースされたとき、母がその曲が好きだと言ったので誕生日にプレゼントした。それからKinKi Kidsの音楽が好きでG〜Kアルバムまではその時までに持っていた気がする。しかし、興味があったのは剛さんの特徴的な美しい歌声に対してが主であった。本当に本当に申し訳ないがその頃光一さんへ興味のベクトルはほとんど向いていなかった。けれどその考えはすぐに変わった。彼の王子様みたいな顔、そして中性的な容姿なのに芯が通って男らしい姿、ちょっと普通のアイドルとちがうファンの愛し方。彼に興味を持たないなんてわたしには無理だった。すぐに光一さんの虜にもなってしまった。


「剛さんの声」「KinKi Kidsの歌」に対しての興味のベクトルだったのが「堂本剛」「堂本光一」「KinKi Kids」へのベクトルに変わってしまったのだ。


それからわたしのキンキを追いかける日々が始まった。まずは毎週日曜11:15〜放送していた新堂本兄弟。これを楽しみに一週間頑張って、これを見たことで次の一週間頑張った。学校から帰宅すると堂本兄弟をかならず一本見た。見てから勉強を始めた。


この間にもわたしは嵐が好きだった。バラエティー番組では笑ったしLOVEというアルバムは個人的に名盤だと思った。だが辛かったのだ。聴くのが見るのが。楽しみより辛いが先立ってしまった。(しかし、受験が終わって大学生になったらまた素直にいろんなことを楽しめるようになった。今でも彼らを応援している)



模試終わりには毎回と言っていいほど母に頼んでブックオフに寄ってもらった。そこで、ある限りのCDを買った。新しい曲に出会うたび幸せだった。背中を押してくれる歌詞の歌に「うるせえ」というタイプの人間になってしまった当時のわたしには自分に関係ないラブソングがとても心地よかった。「君に会いたーい、今会いたーい」と歌ってるKinKi Kids。会いたい恋人がいない私。勉強しかない私。なぜこの構図が心地よかったのか、今の私にはわからない。受験マジックなのか(?)


ちょうどその頃KinKi Kidsは久しぶりにシングルを出した。そして2年ぶりにアルバムを出した。2年ぶりにNHKで生ラジオをした。わたしにとって全てが新鮮でとても楽しかった。


大学の下見のついでと理由付けして12/31には東京ドームにグッズだけを買いに行った。大学の滞在時間2分、ドームの滞在時間30分。どちらがメインだかわからない。中に入りたい、二人を見たい。しかしぐっとこらえて帰ってきた。まだわたしにはやらなければならないことがある。終わったら全てを解き放って楽しもう、そう前向きにとらえて。



無事に大学に合格し受験が終わった。大学の書類を出しに郵便局にいき、そのときにKinKi KidsのFCに入った。家に届いたなんとも言えないデザインの会員カードがとても輝いて見えた。


大学の一年生でいろんなKinKi Kidsに触れられた。

剛さんのソロコンも一人で行った。初めての一人コンサート。あのとき私を救ってくれた歌声を生で聴けて自然と涙が出た。

運良くLIVEMONSTERの番協に行くことができた。146cmにはオールスタンディングは辛かったが(歌収録はほぼ見えなかった)がトーク収録の際初めてKinKi Kidsを生で見た。真顔を保ちながら「剛さんかわいい!!!!光一さん顔ちっさ!!!!うーわちっさ!!!!マメみたい!!!!」って心の中で叫んでいた。

2013の大晦日にこらえて帰ったドームに行くことができた。KinKi Kidsのコンサートに行くことができた。1日のチケットは自分で確保できなかったのだが、優しいキンキ担のお姉さんに譲っていただけた。譲っていただける時に「天井席なのー( ;  ; )ごめんね!」って言われた。その空間に入ることを諦めていた人間なのでどの席でも嬉しかったのに、そんな言葉をかけていただいて本当に感動した。天井席だが、真正面だった。綺麗なMの花道が見えた。そこから見るキンキコンの照明の美しさに対する感動をわたしはきっと忘れることはできないだろう。

そして31日、カウントダウンコンサートにも行くことができた。もうここまでくると神様がわたしに施しをしてくださってるようにしか感じなかった。まあそのカウントダウンは蓋を開けてみたらマッチコンであったのだが。しかし、光一さんが一つ歳を重ねる瞬間に同じ空間にいることができた。そのためのチケット代だ。マッチコンであったとしても文句は言うまい(建前は)(ほんとは年男メドレーとか見たかった)(次の年男12年後だぞわかってんのか)(文句たらたら)



見る世界、見る世界が宝箱のようにキラキラしていたKinKi Kids


去年の帝劇のSHOCKは2月受験で行けなかった。3月は時間的余裕があったのだが、FCも入っていなかったし一般の日はセンター試験だったと思う(記憶があやふや)。まあまとめるととにかく行きたいのに行けなかった。


行きたくて行きたくて仕方なかった舞台にもうすぐいける。これがキンキに興味を持ってから受験が終わるまで諦めていたキンキゴトの最後である。きっとまたわたしの知らない美しいキラキラしてそして力強い世界が広がっているんだと思う。あの座長が夢を見せてくれるんだと思う。新たな世界を体験できる楽しみは最初の一回しかない。この初観劇を大切に大切にしたい。


わたしの初観劇は16日だ。それまでバイトをがんばろう。文句を言ってくる客の顔にSHOCKのチケットを脳内で貼ればナンテコトナイ。ゼンゼンモンダイナーイ。


なっげえな自分。とにかくこの思いを抱えてSHOCKに行ってくる。